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    琉球のグスク(城)多くは12世紀から15世紀に造られたと考えられており、王や按司(あじ)と呼ばれた土地の権力者が住んでいました。日本では城は軍事拠点として作られたことが多かった。按司たちが抗争を繰り返し、3つの勢力が拮抗する三山時代(北山、中山、南山)が到来。これを1429年に統一したのが、中山王となった尚巴志でした。尚巴志により琉球王国が誕生し、国王の在所とされたのが首里城でした。今帰仁城は、尚巴志が攻め滅ぼした北山王の居城。滅亡後も琉球王府から監守(役人)が派遣され、1609年に薩摩藩の島津氏に攻められるまで存続しました。今帰仁城攻めで功績を挙げた護佐丸が築いたのが、北山監視のための座喜味城と、勝連城を居城とする阿麻和利の牽制を目的とした中城城です。もともと今帰仁城主の血縁で読谷山の按司だった護佐丸は、中山王の下に入り、琉球王国の要職に就いて沖縄本島中部地域を支配した人物。築城名人ともいわれます。琉球王国では宗教と政治が強く結びついていて、グスクにも祭祀の場でもある御嶽(うたき)があるのが特徴で、参拝者も多く訪れていたようです。政治と宗教が色濃く結びついていること自体は珍しいものではなく、世界中で古代にはよくあった政治形態になります。グスクに共通しているのは、絶景の地にあることです。森の中や集落近くの丘上に築かれるケースもありますが、グスクの多くは海岸に突き出した岬の上や険しい断崖の上などに築かれることが多く、沖縄の青い海を見下ろすように絶景を眺められるのが魅力です。約300以上確認されているグスクの中でも、琉球国王が居所とした首里城は、日本の城同様艶やかで豪華絢爛と言わざるを得ません。城壁しか残っていないグスクがほとんどで残念です。琉球時代に想いをよせ様々なグスクを投稿しますのでご視聴ください。近年のグスクは公園とグスクが一体となっているグスクは縮小されているにせよ、恐らくいつも小綺麗に整理掃除されています。一方、個人的に大小問わず、グスクの主であったグスクはそのグスク内に家を建て住んでおられます。私は2020年現在のグスクしか拝観できません。沖縄のグスクを調べ、現地のグスクの撮影をしていますが、訪問する前のグスク写真をみてますと、まだ石組みや石畳があり綺麗に整理掃除されているのだと思い、現地へ行ってがっかりするグスクが多くなっています。確かに紹介されているグスクを見ると十年以上前が多く、いやそれ以上、期待していくのが無理でしょう。過去のグスク録画・写真をウィキペディア・その他、紹介している動画そのグスクのURLを紹介していますので、URLの資料と現況の違いを見比べてください。今後は、恐らく年々劣化し跡形が無くなっていくのでしょう。沖縄のグスクは日本の城とは違い、当時の豪農・地域の地名人・権力者により、その地域の人々をまとめ石垣で回りを固めその中で住民が生活しいました。一方、地域を統治し軍事目的で作られた城は、主に今帰仁城・中城城・勝連城・首里城等々がありますが、日本の城建築とは大きく異なります。戦時中、相当破壊されたと聞いています。

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